自分がじぶんで居れる場所。自分の心が安全・安心な場所。私にとってそこはカンボジア。パート1
実は私、昨日までカンボジアに居たのよ。
心と体のリフレッシュ、してきたわ♡
カンボジアはね、私にとってとても大事な場所なのよ。
初めて訪れたのは2011年。
日本との違いがあまりにもありすぎて脳みそのシワが一回無くなって造り直されたみたいな衝撃だったわ。
今までの自分の常識を一瞬でぶっ壊されたのよ。
それまでも海外は行っていたし、初海外で大はしゃぎ!ってわけではなかったんだけどね。
ショックとかの衝撃じゃなくって、
初めての土地なのに、
こんなにも生まれ育った日本とは違うのに、
自分にぴたっとハマりすぎちゃってそれがさらに衝撃的だったのよ。
その次の年には1ヶ月半位かな?滞在して、ますます大好きで特別な場所になったの。
それから1年に1・2回とか2年に1回とかで行くようになって…。
今回で6回目。
なんでカンボジア?
って思うでしょう?
私もそう思う。
なんでカンボジアが良くて、なんでこんなにも求めるんだろう…?
昔から考え屋さんな私にとって、カンボジア人のシンプルな考え方が沁みたんだと思うのよ。
ちょっと、私が感じているカンボジアの人と国について書くわね。
あくまで主観だし、カンボジア人って言ったって色んな人がいるからね。
先ずは歴史からね。
カンボジアは最近まで酷い内戦にあった国。
まだそれから30年位しか経ってないんじゃないかしら。
ベトナム戦争時代アメリカとベトナムに板ばさみにあって、結果、長い内戦が始まったのよ。
国をまっさらに戻してから再築するという、まさに破壊からうまれる創造を実行したのよ。
史上最悪な内戦時代は毛沢東にぞっこんだった ”ポルポト” という世渡り上手な男が統治していた時代なんだけどね…。
子どもは親から離され集団活動、新国のための洗脳再教育を受けたわ。
それから知識人とされる者は次々と収容され・労働を強いられ・殺されたわ。
知識人の枠は広くって、教師など先生と呼ばれる者をはじめ、メガネをかけている・腕時計をしている・文字が読める・海外に行ったことがあるや、手が綺麗…などなど、ぶっとんだ理由で再教育という名の処刑をされていったのよ。
ポルポトは ”国を指導する自分たち以外の知識人はいらない!”って考えだったの。
それによって、大好きな毛沢東の原始共産主義を自分なりに実践しようとしたわけ。
マルクス主義を中国風にアレンジした毛沢東の原始共産主義を俺なりにアレンジしたポルポトね。
党の名前は ”クメール・ルージュ”。
子ども達は再教育後、社会の重要な役割につくことになるの。今まで重要な役割にいた知識人は収容されてるか、殺されてるか、だからね。
それで子どもと大人が逆転する社会になるの。
お医者さんも子どもよ。
地雷は優秀な兵士として重宝され、沢山たくさんばら撒かれたわ。
それから長い間悪夢の時代が続き、殺された人は200万人とかそれ以上とか。
ポルポトから解放された時のカンボジアは国民の85%が14歳以下だったとか。
とんでもな歴史なのよ。
それからカンボジアの人々ね。
そんな過酷な時代があったにも関わらず、彼らは南国特有の穏やかさを持っていてね。
”今日の夜ごはんを家族で一緒に食べれたら幸せ100点”
って考え。
捉え方を変えたら ”その日暮らし” って思うかもしれないけど、大事な感覚だと思うのよね。
最近の日本では忘れられかけてる感覚だなと…。
ニュースで言われているみたいに、日本と比べたら物質的には貧しい国かもしれない。
卵と砂糖は大事なカロリーだし、太っている人はお金持ちだしね。
でもカンボジアに行っていつも思うのは、心がお腹がいっぱいに見えるのよ。
胃はお腹が空いてるかもしれないけど、心がお腹いっぱいに見えるの。
逆に日本に帰ってくると、胃はお腹いっぱいで、心がお腹すいてるように見える。
子ども達の目はビー玉みたいにキラキラ輝いている。
今を ”生きてる” のがビシビシ伝わるのよ。
どんなにおんぼろな家に住んでいても、着る物がたくさんなくても輝いて見える。私には。
そして彼らは大人も子どもも驚くほどに人懐っこい。
彼らはチラ見をあんまりしないのね。
気になったらジーーーっと見るのよ。
で、目が合うと笑ってくれる・手を振ってくれるの。
大人でも子どもでもね^^
で、仲良くなれる。とてもフレンドリー。
あんなに酷い虐殺の歴史があったのによ?
私の仲のいいカンボジア人達は、
「嫌なことがあったり悲しいことがあってもそれもひとつの経験で、今こうして笑ってるからいい。楽しく笑っていられるのが一番。」
ってみんな言うのよ。
楽天的とも言えるけど、私はその感覚がすごく好き。
全部がね、複雑じゃないの。
市場に行けば野菜も肉も魚も服も、雑貨も美容室もネイルサロンもぜーんぶが垣根なくあってね。
お肉も野菜もお魚もスーパーみたいにパックされずそのままで並んでいるの。
例えばお肉。
豚の頭から内臓まで全部がそのままパーツ切りにされて並んでいるの。
衣食住が丸裸に密接で、 ”生きる” を強く感じるのよね。
楽しむとか、笑うとか…
誰かが死んで悲しいとか…
誰かを想うとか…
ごちゃごちゃ考えずにただその感情をそのまま感じる。
すごくシンプルだけどなかなか難しいこの事を自然の摂理のように体現している気がするのよね。
カンボジア人と日本人の共通点もたくさんあってね、そのうちのひとつが妄想力の無さ。
真っ白な紙に「好きな物を書いていいよ。」っていうと何にも書けない子どもが多いの。
日本とカンボジアでは理由は違うけどね。
それはちょっと悲しいなと思う。
…いろいろ書き挙げたけど、もっとたくさん書く事あるけど、
良い・悪いの話でもなけりゃ、優・劣の話でもないのよ。
良いところ・良くないところはどこにだって何にだってあるからね。
これでざっくりカンボジア像が浮かんだかしら?
カンボジアの事はここまでにして次回、”私にとって” の部分、核の部分を書くわね^^
今回は長い文章になってしまって、ここまで読んでくださってありがとうございました^^
最後に今回に写真、いくつか貼っておきます!
日向結う。