ふぇちの種
「〇〇ふぇちに目覚める」
とか言ったりするじゃない?
私の中でその感覚って、種からぴょっと芽がでるイメージなんです。
きっと、人間は生まれながらにいくつものふぇちの種を持ってて、それが生きているうちの何かのタイミングで芽がでる。
私の中でふぇちってそんなイメージです。
出た芽はハマり度合い・執着心の進行と共に、伸びて葉が増えて大きくなって、どハマりした頃には立派な花が咲いてるわけです。
花が咲いたらもう沼だね。
でも、もしかしたらその花はいつしか枯れてしまうかもしれない。
死ぬまで咲き続ける花かもしれない。
花が咲くまではいかないかもしれない。
気づかないうち芽が出て、気づかないうちに花になってる事も多くあると思う。
晩年になってから芽が出始める事もあると思う。
違う種類のたくさん種が一度にポンポンポンって芽を出す事だってありえると思う。
私の中でのふぇちの抽象的なイメージ。
こんな感じなんです。私の脳みそん中。
自分の話で考えると、
私の持つふぇちの中で1番古いふぇちは、医療行為・器具・雰囲気・事例、医療に関わる全ての事柄においてのふぇち。
「医療ふぇち」と呼んでいます。
この医療ふぇちの種から芽が出たのは3歳とかそのくらいだと思う。
自分でも覚えているし、親も覚えているそうな。
当時から救命救急24時的な特番が大好きだった事を。そして病院とリアルお医者さんごっこが大好きな子だったと。
ちっちゃい頃は喘息がひどかったせいもあって特に身体が弱く、良く病院に行ってた事が少なからず影響しているのかもしれない。
年齢を重ねるに連れて、医療専門書を欲しがり、相変わらず大の病院好きで、看護師を志すまでに成長する。
思春期まではなにも思わず、ただ、
“病院とか病院の事柄とかがなんかとてつもなく好き!”
だったと思う。
思春期位から、病院事に対する私のこの胸の高鳴りは性的興奮を含む高まりになっている事に気付いたのです。
この場合、私の中の医療ふぇちの種は自覚がないままに芽が出て自覚する頃には大輪の花が咲いていたって事になると思うんです。
そしていまだに私の脳みそのど真ん中で劣化する事なく咲き続いております。
このふぇちの目覚めのプロセスをどうにか説明出来ないか?っていつも考えてるんだけど、まだまだ謎も多くて…。
私のふぇちノートはモジャモジャしてます。
芽が出た瞬間に自覚があるのか?
花が咲いた時に自覚が伴うのか?
これちょっと私の中でもふわっとしてるんだけど、【性的興奮】っていうのと【なんか〜】っていうのが1つのキーワードかなと思ってます。
やっぱりいろんなふぇちストさんから
「〇〇ふぇちの目覚め」の瞬間の話を伺いたい!
今日はふわっとしたブログでした。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
FetishLABふぇちらぼ