フェチ感情の違い。フェチはほどよく愉しむと人生のスパイスになる。
前にフェチのと背徳感の関係について考えた記事があるんだけど、
これね↓↓
フェチっていう、究極に個人的なこだわりの感情とでも言いましょうかね。
そういうフェチ感情は世界中にあると思うのよ。
究極に個人的なこだわりの感情だから、もちろん人それぞれ違うわけじゃない?
でも逆にそれってその人の生まれ育った環境や文化や宗教なんかが大きく影響していると思うの。
究極に個人的なこだわりの感情だけど、掘り下げていくと、そういう大きくて広いものが見えてくるわよね。
例えば、服のまま湖や川や海に入って漁をする文化の場所では、「服を汚しちゃいけません!」じゃないわけよね。
水着の概念がなかったら当たり前よね。
汚れたら着替えるか、そのままでも気にしないかだもの。
そこに、「あ…いけない汚れちゃった…ドキドキ。」っていうのはないわけよ。
私たち日本人は、リンクの記事でも書いているように、【服を汚さない】っていう環境・文化で育っているからそれを破ったときにそこに背徳感が発生するのよ。
でそこにドキドキするのよね。
もっと日本に絡めて言えば、日本では土足で部屋に入ることはまずないわよね。
畳の上を土足で…なんてことはお行儀が悪すぎよね。
でも日本以外にはそうじゃない国もたくさんあって、この行為になんとも思わない人も多いわけだ。
日本人内でも背徳感に酔える人や罪悪感に打ちひしがれたり怒ったりする人とかがいる思うけど。
それから逆にね、厳格な決まりの宗教がある環境で育ったとしたらどうかしら…?
それは破ってしまったら背徳感を愉しむどころの話じゃないわよね。
下手したら死ぬか生きるか問題よ。
そんなリスクを背負ってまでその背徳感を愉しもうと求めるがいたら話は別だけど、まずない気がするのよね。
って考えるとね、個人のフェチ感情は、
大きくは国によってまたは宗教・文化によって違う。
そこからさらに、育った環境によって色々違う。
そうなるのは当たり前よね。
この記事で何が言いたいかっていうとね、タイトルの通りよ。
フェチはほどよく愉しむもの。人生のスパイスとしてね。
禁を犯すのは時としてとても淫靡なものかもしれないけど、
行き過ぎると飲み込まれて誰かを傷つけたり・病気や怪我をしたり・あらゆるものを破滅に追いやってしまうと思うの。
そんなのって楽しくないじゃない。
いや、本望だ!っていう人もいるかもしれないけどね…。
でも私は ”フェチがある" って人生においてのラッキーやハッピーの1つだと考えてるから、誰かを傷つけたりっていうのは嫌だなって思う。
私の知る限り、フェチを愉しんでる方々は紳士・淑女ばかりなのは皆さんほどよく愉しまれてるからだと思うのよね。
今日も最後まで読んでくださってありがとう♡
FetishLABふぇちらぼ 日向結う