FetishLABふぇちらぼブログ

いろいろなふぇちのこと。人の究極の執着心がふぇち。あなたは何ふぇちですか?

フェチ脳とダイレクトえろ。

f:id:yuu-fetish:20160807062411j:plain

フェチってさ、直接生殖に繋がっていなかったりするのよね。

 

 

 

簡単に言うと、

異性を見て、生殖器にグッと来るのとは違うって事。

これを ”ダイレクトえろ” とでも呼ぼうか。

ダイレクトえろ本能に寄っているのね。

脳みそで言うと、大脳辺縁系って所。

哺乳類脳とも言われたりする。

 

 

あ!人間の脳みそって、

脳幹→大脳辺縁系大脳新皮質に分けれるのね。

三重構造と思ってちょうだい。

脳幹が首に近くて、一番内側。

で、大脳辺縁系大脳新皮質の順に外側にあるのよ。

内側にいくほど本能を司っていて、

外側にいくほど理性を司るって言われてんのね。

ざっくりね。

 

 

 

ダイレクトえろは大脳辺縁系

わりと本能の部分なのね。

異性(対象)を見た時に、大脳辺縁系が直接的生殖的なえろに結びつけて欲情するわけよ。

 

 

 

じゃあフェチってなんなのか?

フェチは、生殖的なえろにダイレクトじゃないのよ。

これを ”フェチ脳” と呼ぼうね。

フェチ脳フェチを感じる対象を見た時に、

それを先ず脳みそに取り込んで、

ロンダリングするわけ。

ストーリーやバックボーン、経験則や妄想で補完する。

そうしてロンダリングをする事で、

脳みその中で初めて完成するのね。

対象を見ただけじゃ完成じゃないのね。

それがtheフェチ脳。

だから私はわりと大脳新皮質寄りだと思ってるのよ。

 

 

大脳新皮質って人間脳とも言われる脳で、

進化の過程では新しい脳なのね。

この部分が文明や文化や社会に大きく影響してきたわけだ。

言い方を変えれば理性を駆使して秩序を作ってきたわけだね。

 

この間、背徳感の記事。これね→

xxxfetich-yuu.hatenablog.com

 

背徳感は理性あってのものなのよ。

理性と欲望のせめぎ合いなのよ。

上の記事でも書いた通り、

[AAしちゃいけない事 × AAしちゃう = 興奮]

っていう方程式がある。

”AAしちゃいけない事” ってのは往々にして、

一種のルールだったり概念だったり、

文化や社会に大きく関わっている事ばかりなのよ。

それなくしてはフェチは存在しないかもしれない位に。

獣にはない感覚。

人間が持つ特別の感覚。

そう考えるとね、

フェチ脳の人って、人間人間してるのね。

人間くさいというか、人間らしいとうか。

なんとも愛おしくって興味深い気持ちになるのよね。

 

そして、人間であれば誰しもがフェチ脳の自分もいるって事。

そんな自分にまだ出会ってなかったとしても、

人間ならばフェチ脳派の自分は存在し得るのよ。

せっかくだから、ダイレクトえろでもフェチ脳でも楽しめたらお得感あるわよね♡

 

 

 

面白いって思ってくれたらシェアしてね。

 

Fetish LAB (日向結う)

 

フェチと背徳感の話。〜フェチ的快感の方程式〜

f:id:yuu-fetish:20160724054643j:plain

フェティシズムの世界は往々にして背徳感がスパイスになるの。

背徳感が倒錯的な気持ちを煽る事は多い。

 

 

背徳感とは、

本来あるべき人の道(倫理道徳観念)から外れた事を後ろめたく思う気持ち。

倒錯的とは、

一般的正常な状態に反した行動傾向で、特に社会から常とされない性的な行動傾向を指す事が多い。

 

 

フェティシズムは心理学において性的倒錯と呼ばれるんだけど、

まさに背徳感は切っても切れないのよ。

  • 「こんな事するなんて普通じゃない」
  • 「こんな事が好きなんておかしい」
  • 「こんな事したらだめだ」

って思いがますます興奮を大きくするの。

 

 

 

性的倒錯はWHOにおいては性嗜好障害とみなされているって知ってた?

それだけ、性的倒錯というのは一般的に理解・共感し難いものなのよね。

本来は。

 

だから、私が活動している ”ウェットアンドメッシー" というフェチを例に挙げるわね。

ウェットアンドメッシー

着衣のままで濡れる又は汚れる事に性的興奮を感じるフェチなの。

”着衣のまま” っていうのがポイント!

 

私たちは小さい頃から、

「ほら!そんな事したら服が汚れるわよ。」

「濡れちゃうでしょ!腕をまくりなさいよ。」

とか

「やだ!こんなに汚して。」

「ビショビショじゃない!早く着替えなさいね。」

っていう風に、

多かれ少なかれお洋服を汚す(濡らす)事に対してのしつけをされてきているわよね。

お家ではなるべく汚れないように指導される事ってあると思うのよ。

特によそ行きに服なんかは。

 

だから私たちの脳みそは

  • ”服は汚したらだめだ”
  • ”服を汚さないようにしなくちゃ”

 

みたいな思考が無意識にこびりついてるわけよ。

お洋服の暗黙のルールみたいなね。

いわゆる常識ってやつね。

 

 

だから、

服を着たままお風呂に入るとか、泥水にまみれるとかって

常識では考えられない行為

お洋服の暗黙のルールをぶち破っているんだもの。

それが、背徳的行為

 

で、そこで生まれる、

”こんな事しちゃいけないのに、するはおかしいのに…”

っていう気持ちが背徳感

 

そこにさらに性的な興奮を覚えるとそれは、倒錯又は性倒錯となる。

  • (こんな事するのはおかしいのに)服を着たままお風呂に入り、うっとりする。
  • (こんな事しちゃいけないのに)服を着たまま泥んこの上に寝転んで、ゾクゾクする。

これがフェチの醍醐味の一つでもあるんじゃないかなと思うのよ。

 

[AAしちゃいけない事 × AAしちゃう = 興奮]

っていう方程式があるのよ。

”AAしちゃいけない” 度合いが高ければ高い程興奮度合いも高くなる。

例の場合で言ったら、高価で汚すべきでない服ほど…って事。

 

 

 

 

もちろんどのフェチにも、それ以外の興奮要素は細かにあるわよ。

ウェットアンドメッシーで言ったら、透け感や質感なんかも興奮要素になるしね。

フェチは十人十色のものだからコレ!っていう型がないのね。

でも背徳感が重要な意味を持つことは確かよ。

 

 

 

 

面白い^^と思ったらシェアしてね。

日向結う。

フェチは世界を変える。なぜなら自由発想力が不可欠だから。なので自由発想力を辿ってみたよ。

【ウェット&メッシーって知ってる?】

f:id:yuu-fetish:20160618032053j:plain

 

世の中にはたくさんのフェティッシュがあるよね。

性癖ともくくれるね。

 

そのフェチの1つにウェット&メッシーって呼ばれるジャンルがあるのよ。

以下WaM。

 

 

wet&messy(濡れると汚す)

wet(濡れる)

messy(汚す)

2つのフェチのセットなのね。

 

 

大前提として着衣である事が多くて、

服を着たままお風呂に入ったり、

服を着たまま生クリームやケチャップにまみれたり。

パイ投げなんかは、メッシーよ^^

バースデーケーキに顔突っ込むのもメッシー。

喫茶店で水ぶっかけられるのはウェット。

公園の噴水に落ちるのもウェット。

 

 

そんなニッチなフェチが

昔むかしから存在しているのよ。

 

ぐちゃぐちゃになる様だったり、

衣服が透ける濡れ感だったりに

非常にそそられる人が世界中にいるの。

 

 

そんなWaMの動画作品があるって、知ってる?

「知ってる!見た事ある!」

って方はキワモノですなー!

やりよりますなー!

 

f:id:yuu-fetish:20160618032111j:plain

 

そんなWaM動画のモデルをやり始めたのが今から5年位前。

めくるめく妄想の性的倒錯世界に魅了され続けているわけですよ。私。

 

最近はモデルだけに留まらず、

日向結うプロデュースでコンテンツ展開

もさせてもらう事ができて最高にワクワクなのよ。

 

 

「なにそれ?よくわかんない。」

って人は感覚的には、

WaM好きさんにとってそれは

AVの様な、

癒しムービーの様な、

そんなもの。

なんとなく感覚掴めた?

 

 

フェチは往々にして奥深いもんなんだけど、

WaMっていうのもまた奥が深くてね。

 

ただ濡れor汚れていればいいってわけじゃない。

(それでもいいって人も、もちろんいるよ^^)

 

"ストーリー" が存在するのよ。

 

何がどうなって濡れるor汚すに至るのか?

濡れるor汚すに至った後はどうなるのか?

 

このストーリーがそそる気持ちをより煽る。

ストーリーは

がっつり決めて作る時もあるし、

何にも決めずに見る人の脳みそに任せる時もある。

どちらにしてもストーリーは存在するの。

 

 

映像を見て→脳みそでイメージ補完して→完成

 

 

このプロセスがあるわけよね。

脳みそで自分の中の完成に向けて創り上げるのよ。

 

私ね、思うんだけど、これってすごい!

「自由発想力が低下しているというこの時代で

こんなにも自由に発想して創り上げてる人が

沢山たくさんいるんだ!!」

ってワクワクするの♪

そしてその脳みそにとっても興味が湧く!

少しでもいいからその脳みそに関わりたい!

 

そう思うのよ。

今は気軽にスマホ映像でダイレクトに性欲を満たせる時代。

視覚と聴覚と右腕ダイレクトで脳みそは通り過ぎる気がするのよね。

反して官能小説は視覚から文字を取り入れ、

脳みそで映像化(イメージ化)して、右腕へ。

「別にAV見るのが悪いからエロ小説読め!」

って言ってるわけじゃないからね。

私もAVにお世話になる時ありますし。

ただこのね、脳みそでイメージ化って大事だと思うのよね。

って事。

極端に言ったら、

小学生の時に辞書で”女性器”って引いてなんか悶々する

みたいなイメージ感覚忘れないで!って事。

 

そのイメージ感覚が自己世界を彩り、広げるのだから。

そのイメージ感覚こそが自己発想力なのだから。

セクシャル事に限らずですが。

 

 

 

ちょっと話逸れるんだけど、

時代は流れているから、昔と今を良い/悪いでジャッジできる話ではないよね。

ただ、草食系男子だとか若者が淡白だとかって

なんでそうなったのかな?をちょっと考えたのよ。

一つの見方として

自由発想力が減って来ているからなのかな?

どうなのかな?

 

自由発想って言ったら幼稚園・小学校まで遡るよね。

そこで例えば、

  • 先生の言った通りに折り紙を折らなきゃいけない。
  • 先生の言った課題の絵を描かなきゃいけない。
  • 先生が丸をくれる答えに寄せなきゃいけない。
  • 外で好きに遊ぶ場所が少ない・無い。

ってなったら、自分の脳みそを使って考えて・想像して、

実践するパワーが養われない風になってしまうのかな?

そうかどうかは統計とってないからわからないけど、

そんな事があるとしたら悲しい気持ちだな。

誰が悪いわけじゃないから、やるせない気持ち。

 

 

 

 

 

 

私さ、フェチは世界を変えると思うんだよね。

 

Fetish LAB(日向結う)

 

 

 

 

 

f:id:yuu-fetish:20160618032221j:plainf:id:yuu-fetish:20160618032233j:plainf:id:yuu-fetish:20160618032244j:plain

一般的な『フェチ』と、ガチ勢の『フェチ』の違い。

f:id:yuu-fetish:20151127195246j:plain

3000人以上の性癖と関わって思う事。

今回はフェチについて。

 

「あなたは何フェチですか?」

とか

「足フェチです」

とか

「お尻フェチ」

とか

「手フェチ」

とか

”フェチ” って言葉を日常で耳にする世になったよね。

 

日本はさ、色々なコンセプトの風俗がある。

その数は数十種類以上に及ぶわけで。

「会ってセックスして終了。」

って言う風俗概念は殆どないんだよね。

 

そんな助兵衛な国だから、フェチっていう言葉も抵抗なく浸透したんだと思うのよ。

例に挙げた ”フェチ” っていう言葉、ポップなニュアンスよね。

カジュアルというかさ。

語源であるフェティッシュとかフェティシズムって可愛い感じするよね。

音の感じが。

 

 

でも本来の意味を簡単に並べると、

  • 物神崇拝。呪物崇拝。
  • 異常性欲の一つで、異性の髪や衣類など、生命のない対象物に対する強烈な性衝動。

なのよ。

日常でよく耳にするフェチとは

ちょっとニュアンス・イメージが違うよね。

ちょっとこれはヘビーよね。

 

 

性の対象として異性を見たときに、

ポイントとして魅力を特に感じる部分

ってのが、いわゆる日常でよく使う、一般的な

『フェチ』

という言葉のニュアンス・イメージなんじゃないかな?

 

 

私がよく言ってる『フェチ』は、本来の意味の方。

昔々から、ひっそりと、

でも絶対数の人が居る本来の意味の『フェチ』の世界。

同じ人間でも到底共感出来ないフェチのある世界ね。

理解はできるけども^^共感できるとは限んないのよね^^;

 

 

 

なので今回は、

本来の意味をガチのフェチとして、

いわゆる日常で使うのを一般的なフェチとしてみるね。

 

 

 

ガチの足フェチは、

自分好みの足を持つ人じゃないとセックスが出来ないのよ。

興奮しないの。

その”足”性的対象で、その ”足” を持つ人間には興味はない

自分好みの足が絶対条件で、”人間”って所は二の次。

ってゆう事なのね。

 

一般的な足フェチは、

自分好みの足を持つ”人間”興奮する

人間も込み込みなわけよ。

”人間ありき”で、足が魅力的・好きな所。

って感じ。

 

 

この差がね、今のフェチ界では大きく開き続けているのよね。

天と地ほどの差だからね。

 

 

 

もう一つ例。

”髪フェチ”

ガチの髪フェチAさんは、

染めた事のないバージンヘアーの黒髪ロングが好き。

理想に叶った黒髪ロングヘアーであれば、

その髪の持ち主の容姿はどうでもいい。

なんなら、髪だけでいい。

”髪”に興奮するのでそれだけでいい。

 

 

一般的な髪フェチBさんは、

黒髪ロングの女性が好き。

黒髪ロングの色白で華奢な清楚な女の子がいい。

髪の持ち主ありきなので、容姿や雰囲気も大事。

トータルで好みの子がいい。

 

 

みたいな感じ。

違いはわかってもらえたかしら?

今回は髪フェチと足フェチをざっくり例にしたけど、

一般的な髪フェチの好みがその人によって色々あるように、

ガチな髪フェチの好みもその人によって様々。

ガチ勢的には《好み=条件》に近い感覚かな。

 

 

 

 

一般的な『フェチ』が人間などの命ある物ありき

なのに対し、

ガチな『フェチ』は命ある物は度外視。

巨大建築物フェチは巨大建築物そのものに興奮するのよ。

性的に。

私のように活字・言葉フェチは字の形や歴史そのものに興奮するのよ。

性的に。

性的にという事は、トドのつまり、”ヌケる”って事。

 

 

一般的な『フェチ』もガチ勢の『フェチ』も

どっちも素敵と思う♡

どっちも『フェチ』だから、ややこしいから、

ガチ勢の『フェチ』を「フィリア」に変えてみたらいいんじゃないか?

という提案を最近至る所でしているので、次回はフィリアの話!

 

Fetish LAB(日向結う)

産まれて初めて ”豚のおまた” を食べた話。そして感動した話。

精肉よりホルモンを愛する日向結うです。

この間、ホルモン屋さんに行ったのよ。

そのお店にね、

「らっぱ」

っていう部位があったの。

 

らっぱとは、

なんと!

雌豚のおまた!!

正確には産道。

らっぱのように先が開いているから ”らっぱ” だそうで。 

 

同じ雌・人間のおまた族としては…

複雑な気持ちながらも食べてみたい!

食べてみたい好奇心が勝ち、注文!

 

出てきたのがこちらの写真↓

f:id:yuu-fetish:20160517023512j:plain

f:id:yuu-fetish:20160604043507j:plain

おそらく産道を縦に切っていると思われる。

 

見た目でわかるかな…

焼く前のおまたは硬い!

そして筋張っている!筋肉質!

「これは結構歯ごたえあるやつかしら?」

と予想しつつ焼いてみる。

 

焼いた結果…。

もちもちになった!

箸で持った感じも柔らかくまとわりつくように変化。

食べてみると…

もちもち!

歯に絡むようなネチっと感もある。

焼く前からは想像もつかなかった食感!

逆に自分のおまたに指入れた時のイメージが流れた。

味は癖がなく、食べやすい。

 

 

 

私、感動しちゃって。

 

産道は子宮とはまた違うけれども、

やっぱり、『おまたは冷えていると硬くなるんだな。』と。

『温めるとまとわりつくように柔らかくなるんだな。』と。

 

雌の真理に触れたような気がしてすごく感慨深い気持ちになったのよ。

 

『この柔軟さが、女性性なんだな…”女”を私は今この豚を通して体感している…。』

そう思えて感動したの。

生を頂いた豚に深く感謝の気持ちで全て食べたわ。

 

 

らっぱだけの話ではないけれど、

改めて生を頂く事をありがたいと感じ、

女性の身体の神秘を感じた日。

 

日向結う。

言葉のイメージと意味が面白い話。

新潟県出身の私。

方言、あります。

 

っていってもSVOC全部が方言ってわけではない。

だから上京して標準語を意識する事もなかった。

 

 

 

ただ、日常会話のふとした時に標準語になおせない言葉を見つけてしまう。

ちょうどこの間も、友達とばあちゃんについて話していた時の事。

 

私「うちのばあちゃん…………ねえ、多分通じないと思うけど、てっこってわかる?」

友「てっこ?わかんない。」

私「だよね。うちのばあちゃんてっこなんだよ。…てっこってわかんないよね。」

友「標準語にすると?」

私「……これ!って当てはまる単語はない。てっこはてっこなんだよ。」

 

お互いのばあちゃんの話から完全に ”てっこ” の話へ。

 

私「強いて言うなら、おおざっばとか乱暴とか雑とか適当とかガサツとかをいい感じにちょっとずつブレンドした感じ。」

友「雰囲気はつかめた!」

 

 

 

一応通じて解決したんだけどね。

この、言葉の持つニュアンスってすごく繊細よね。

日本語はわりと意味と単語がワンセットになっているけど、

方言ってニュアンス重視で結構ふわっとしている事が多い気がする。

”こうゆう雰囲気の時に言う言葉”

とか

”てっこみたいにいくつかの単語の意味が複合する言葉。”

とか。

だからふとした時に今回みたいな会話が起きるのよ。

 

 

 

私たち人間は ”言葉使い” なわけだけど、

”言葉使い” って魔法使いみたいでいい感じ♪

一つの単語に対するイメージってあるじゃない?

例えそれが同じ意味のモノだとしてもイメージって違ったりする。

 

例えば、

《古い》

この言葉の意味は、「物事が長い年月を経ているさま」。

同じ意味の言葉は、

  • レトロな
  • 時代がかった
  • ビンテージの
  • 古風な
  • 昔からの
  • 歴史ある
  • 年季がかった
  • 年代物の
  • 骨董的な

など。

それぞれイメージは違うんじゃないかしら?

 

 

それからもう一つ。私たち日本人は漢字圏の人間。

同じ漢字圏でも国が違えば、言葉の意味が変わるのよ。

《奇怪》

日本にある言葉。意味は、

「常識では理解できない程に不思議な事。けしからぬ事。」

 

ところ変わって中国語での意味は、

「変わっている。こっけいである。おかしい。不思議。」

 

似たような意味に感じるかもしれないけど、

日本語ではけしからぬがある通り、叱責の意味的要素が強いのに比べて、

中国語はこっけいがある通り、叱責の要素はないのよ。

「なんか今日前髪変だよ。」とか言う時の ”変” のイメージ^^

 

 

 

 

こうやって一つの単語を取っても様々な色がある。

そうゆうのを考えながら言葉を組み立てていくと文章になる。

文章はいろんな色が混じり合った無限の世界。

 

今日は言葉フェチなブログでした^^

 

日向結う。

文章のおもしろさ。字のおもしろさ。そして勝手に筆跡鑑定に出された昔話。

f:id:yuu-fetish:20160503023554j:plain

 

文章はその人の内面が出るもの。

 

他人の文章を丸ごとコピーしない限り、

その人の内面がどうしたって出ちゃうのよ。

 

単語の選び方

動詞の使い方

語尾の使い方

行間の空け方

記号の使い方

などなどなど…

 

文章の中にはその人の情報がたくさん詰まっているもの。

 

 

字だってそう。

筆跡ってやつよね^^

 

筆圧

とめ・はね・はらい

略字

大きさ

並び方

などなど…。

 

字にもその人の内面が詰まってる。

 

 

”産まれてからこれまで生きてきた間に定着したもの”

もあれば、

”文章を生み出してるまさにその時のもの”

もある。

 

 

小説でも日記でもただのメモでも、

ブログでもFacebookでもね。

絶対出るの。書いている人自身が。

 

例えば、Facebook

仕事メインのページだとしても日々の事を綴るわけだから、

やっぱりその人の個性が出るよね。

タイムラインに投稿するって事は、するなりの意味があるのよ。

その出来事に心が動いたから ”投稿” っていう行動をする。

 

感動・嬉・怒・困・悲・楽・萌・燃

とかの感情の動きがあって、それを

→伝えたい・反応を知りたい・見て欲しい

と、行動に移す。

 

その文面から個性がチラリ・ポロリするのよ。

擬音が多い人・そうじゃない人

数字が多い人・そうじゃない人

詰めて書く人・そうじゃない人

とか

仕事記事の合間のプライベート記事で

天気の事が多い人・そうじゃない人

草花の事が多い人・そうじゃない人

食べ物の事が多い人・そうじゃない人

などなど

 

おんなじ職業の人同士だとしても全くおんなじにはならない。

その人の色がでるし癖がでる。

よく使う言葉も人によって違う。

 

どんなにガッチガチにブランディングしてても、

自分で考えて書いている限りポロリしているものなの。

 

そこから、

この方はこんな人かしら?

こんな一面もあるんじゃないかしら?

ってその人像をほわわわんっとイメージするのがワクワクする^^

そしてなぜかピンとくる。

 

ジャッジとはまた違うのよ。

「この人はこうゆう人!!」

って決めつけたらそうゆう目でしか見れなくなるからね。

人は多面で奥深いから、文章で全てが完璧にわかるわけじゃない。

 

ただ、文章は ”その人らしさ” が滲むのは確か。

きっと誰しもが、文章を読む時は無意識に書く人の人物像を想像しているんじゃないかしらと思うわ♡

私の場合は昔から書いた人を思いながら文章を読むのが癖でね、

小説を読んでそのあとに作者の伝記や自叙伝を読むのが楽しかったの。

 

 

 

科学的なDNA鑑定があるように、筆跡だって鑑定出来ちゃう世の中よ。

その人が直筆で書いた文章だったらもっと色々ポロリするわよね。

 

19歳の頃かな。

愛人をやってた時期があったんだけど。

彼はちょっと束縛しがちな人だったのね。

別れ話の最中に一度手紙を送ったの。

そしたらね、彼はそれを筆跡鑑定に出したのよ!

私超びっくりよ!!

 

彼「この間もらった手紙なんだけど、筆跡鑑定に出して

  君の心理状態を分析してもらったんだ。

  何かに怯えているの?もしかして誰かに脅されている?」

 

こいつまじか?!ってなったわよね^^;

別れ話を出したあとに彼から恐ろしい手紙と共に大量のバラの花が送られてきたのよ。

手紙の内容に触れると長くなるからまたの機会にするけど。

それで、私も手紙で返信したのね。

そしたらこれよ!筆跡鑑定て!

 

私「あなたに怯えています。誰にも脅されていない!あなたがもう怖いです。」

 

そしたら彼やっと解ってくれて、無事に別れられたんだけどね^^

その時初めて、筆跡で心理状態まで分かっちゃう事を知ったのよ。

昔話はこの辺で^^

 

 

話が私の人生で一番恐怖した時代にそれちゃったけど、

それくらい字や文章ってその人のパーソナルな部分に関わっているのよ。

そしてそれがその人その人の味であり、カケラであり、色であるのよ。

 

 

日向結う。